いわき市議会 1985-09-13 09月13日-04号
坂本平助君は、大正14年3月23日生まれで、昭和18年県立磐城中学校を卒業し、昭和21年9月に草野村に就職し、昭和37年4月平市財政課長となりいわき市発足後は、財務部財政課長、昭和44年4月教育委員会教育次長、昭和48年5月市民部長、昭和50年4月総務部長、昭和52年4月には財務部長、さらに昭和58年1月からは収入役として市政運営に尽力し、現在に至っているものでありまして、人格識見ともにすぐれ、いわき
坂本平助君は、大正14年3月23日生まれで、昭和18年県立磐城中学校を卒業し、昭和21年9月に草野村に就職し、昭和37年4月平市財政課長となりいわき市発足後は、財務部財政課長、昭和44年4月教育委員会教育次長、昭和48年5月市民部長、昭和50年4月総務部長、昭和52年4月には財務部長、さらに昭和58年1月からは収入役として市政運営に尽力し、現在に至っているものでありまして、人格識見ともにすぐれ、いわき
下山田民部君は、議案経歴書のとおり、大正11年9月2日生まれで、昭和15年県立磐城中学校を卒業し、昭和25年錦町に就職し、昭和44年4月いわき市教育委員会事務局社会教育課長、昭和48年5月平公民館長、昭和50年4月教育委員会事務局参事兼ねて文化センター所長及び中央公民館長、昭和51年6月教育委員会事務局教育次長、さらに昭和56年4月からいわき市小名浜高等専修学校校長として現在に至っているものであります
坂本平助君は、大正14年3月23日生れで、昭和18年県立磐城中学校を卒業し、昭和21年9月草野村に就職し、昭和37年4月平市財政課長となり、その後いわき市の合併により、いわき市財務部財政課長、昭和44年4月教育委員会教育次長、昭和48年5月市民部長、昭和50年4月総務部長、さらに昭和52年4月から財務部長、財政部長として現在に至っているものでありまして、人格識見ともにすぐれ、いわき市収入役として適任
山本吉五郎君は大正7年10月9日生まれで、昭和11年福島県立磐城中学校を卒業いたし、兵役等を経て、昭和25年4月内郷町に就職し、昭和38年4月内郷市教育委員会庶務課長となり、その後いわき市の合併により、昭和44年4月教育委員会財務課長、昭和50年4月教育委員会教育次長、昭和51年6月財務部長の要職を歴任し、昭和52年3月退職され、その後、財団法人いわき観光公社常務理事を務め、退社され、現在に至っております
関内栄三君は、大正7年11月10日生れで、昭和11年県立磐城中学校を卒業いたし、兵役等を経て、昭和21年平市に就職し各課に勤務、昭和40年5月に水道部管理課長になり、その後いわき市の合併により、いわき市水道部平業務所長、昭和42年5月人事課長、昭和45年4月平支所長、昭和46年4月副収入役を歴任し、昭和47年4月から消防長として現在に至っているものでありまして、人格、識見ともにすぐれ、いわき市の収入役
馬目俊次君ほ大正2年8月生まれで、昭和6年県立磐城中学校を卒業いたし、しばらくの間平税務署平町役場に勤務し、その後県庁に入りまして、各課に勤務。昭和25年6月に総務部秘書課長になりその後、昭和31年土木部監理課長、昭和32年信夫地方事務所長、昭和33年に石城地方事務所長を歴任したのでありますが、昭和38年に平市助役に選任されまして、本年の9月30日まで助役として活躍されていたのであります。